「最悪」を想定してみる

世の中にはいろいろな言葉がある。
そしてそれらは時代に沿うように変化している。

近年よく使われる言葉の一つに「最悪」というものがある。
書いて字の如し「最も悪い」で最悪だ。
この最悪、という言葉を使う際に「最も悪い」といった意味を持たせて使うものはそう多くはないのではないだろうか。

生きていると多くの苦難や悲哀に直面することがある。
そんな時に「これ以上悪くなることがあるのだろうか」「今が底なのではないだろうか」なんて思ったりもする。
今が言葉通りの「最悪」なのではないだろうかと。

まず断言できるのは、すべての人において今が最悪ということはない。
今よりも悪くなる可能性なんて考えればわかることだが相当に高いのだ。
これは平和ボケした世の中や管理社会ではなかなか理解し難いかもしれないが。

例えば今日、事故に遭い、重い後遺症が残り自由にトイレに行けなくなったら。
例えば今日、大切な人が失明し、その笑顔が今後曇ることになったら。
例えば今日、戦争が勃発し、家族が殺されてしまったら。
最悪だった昨日は、本当に最悪な一日だっただろうか。

よくよく考えてみてほしい。
最悪を想定してみること、考え得る限りの「最も悪い」未来を思い浮かべてみること。
そうすると見えてくるはずなのだ。
今の自分がいかに恵まれ、数多の幸せに囲まれながら生きているのかということが。

他人と比較して、自分より悪いものを卑下せよということではない。
あくまで自分の中にある「こうなったらいいな」「こうなりたくないな」を考えてみてほしい。
意外と悪くない人生を歩んでいるんだと、気付かないだろうか。

今生きているこの時が、未来の自分の最幸な時かもしれない。

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