起こる事象の多くは実は「どうでもいい」こと

日々生きていると様々な問題に直面する。
今が続けばいいと思っている大馬鹿者たちは、少しの変化でも嫌う。
やれ金が足りないだの、やれ周りの目が気になるだの。
生きている者ではなく生かされている者なのだろう。

私は「かけがえのないもの」のために生きている。
文字通り、替えの効かないもの、唯一のもののためにだ。

考えたことはあるだろうか。
何のために生きているのか。
大切にしていること、もの、すべてにおいて替えが効くのかどうかを。

私は、替えの効かないものにこそ価値があると信じている。
今の世の中では、そのほとんどがスペアとなり得る。替えが効く。
だからこそ、今の世の中に魅力を感じないのだ。
金なんてのはその最も足る例であり、私の大嫌いなものだ。

そんな視点で見ていくとどうだろうか。
数多ある問題で、どうでもよくないことはあまり多くないように思わないだろうか。
逆に自分にとってどうでもよくないこととは何なのか気にならないだろうか。
仕事、生活水準、環境、社会、人付き合い、物、こだわり、
どうでもいいことだろうか?どうでもよくないことだろうか?
それらは自分にとって「かけがえのないもの」になり得るだろうか?

どうでもいいこと、どっちでもいいことに対して時間を割くのは価値のあることだろうか?
ある問題に対して、どちらでもまぁ何とかなるかという問題に悩ませる頭も時間も、それは価値のあることなのだろうか?

替えの効かない、こうでなければという強い思いの上に立つ「ぶれないところ」。
どっちでもよくない、どうでもよくないと思えるところ。
そこを死守することで、死守する努力を継続していくことで、自分というものに価値が生まれてくるのではないだろうか。
それこそが他と違う、替えの効かない自分なのではないだろうか。

私は、すべての人が替えの効かないかけがえのない人であってほしいと思う。
替えの効かない人たちで溢れた世界はきっと素敵な世の中なのだろうと、そう思う。

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