本当に価値のあるもの
資本主義の大元として、金があるやつが偉いわけだ。
金を動かせるやつには逆らいづらく、貧乏人は生かさず殺さず。
で、稼いだ分から納税しなくちゃいけないわけで。
実質賃金なんて言葉が最近出回っているようだが、まさにそれだ。
給与が上がっても税金が上がれば、出費が増えればそれは意味のないことだ。
さて、その納税された税金の使い道だが、
結局のところゴミのような使い道、偉いやつらの私利私欲利権に使われ何も残らない。
そんなの納税する価値ない、というのが結論である。
さて、価値のない納税というのは当たり前として、
今まで納税に価値があった時代があったのだろうか?
ここで本題。
色んな時代を繰り返してきた人類であるが、その渦中において、いつの時代でも、どんな環境でも、
お偉いさんよりも底辺では食いしばって生きている人の方が人間として成熟できているのではないだろうか?
そんな中にあっても、必死こいて何かを守っている人、
勘違いしないでほしいのだが、何かを守り切った人ではなく守っている人のことだ。
その人たちにこそ魅力があるんじゃないだろうか、と考える。
貧乏は人と心を育てる。
金持ちの環境に身を置くことは、周りの貧乏人を周りに置けなくなってしまう。
それどころか人として心を育てられた貴重な存在は自分から去って行ってしまう。
成熟した人が去り、未熟な金の亡者、金という本来価値のないものに身を委ねる者たちに囲まれてしまう。
自らが生きる上で環境というのは非常に大切なものだ。
いかに自分という軸を強く持っていたとしても、いずれ流されてしまう。
金という媒体は、本来紙と金属であり、大変な価値のあるものではないはずだ。
それをわかりづらくお偉いさんが楽しい人生を送るために価値を吊り上げているのだ。
騙されてはいけない。
金は必要最低限の稼ぎと貯蓄があれば、それ以上は毒だ。
人間であること、周りのものと助け合うこと、これらは本来心の上に成り立つものであり、
決してまやかしの対価である「金」ではないことを忘れないようにしていきたい。
本当に価値のあるものを見つけること、見つけたならそれを大切に生きること。