人工知能とどう生きるか

人類の発展の為に人工知能というのは本当に必要なのだろうか。
そのメリットはデメリットを補って余りあるものなのだろうか。
今回はこの人工知能、AIというものについて考えてみようと思う。

そもそもこの人工知能のメリットとは何なのか。
人件費の削減、業務の削減、ヒューマンエラーによるケアレスミスの削減。
単純作業やマニュアル化された業務をコンピュータに任せ、人間様はもっと複雑な業務にあたることが出来るというのが概ねのメリットである。
今後人口の減少に悩まされるであろう日本国にとっては、労働力を単純作業に割いている余裕がなくなっていく。
故に大企業などでは単純に人工知能が人口の代わりにもなり得るのかもしれない。

ではデメリットの方はどうだろうか。
上に挙げたメリットの逆がそのままデメリットであると私は考える。
大手企業が利を得る一方でその陰では中小零細はリタイアせざるを得なくなる。
人件費の削減はそのまま死刑宣告だ。

業務の削減というのも一見メリットのように見えるが、それだけではない。
下積みの時代というのは思っているよりも大切な時間だ。
いかに単純作業であっても、誰がやっても変わらないような仕事だとしても。
不平不満を何とかしようと歯を食いしばりながら周りを観察し、周囲との違いを自分と照らし合わせ自分の形をつくっていく。
そうすることで個としての価値が上がっていき、その下積みの上に信頼ができる。

経験なくして成長などあり得ない。失敗なくして成長などあり得ない。
失敗という経験を積むことで得られる対処法や臨機応変な考え、責任感といったものも得ることが出来なくなっていくのではないだろうか。

そして私が最も危惧しているのは、人工知能に飼いならされる人間の増殖である。
以前書いた話と重複するがご了承いただきたい。

とにかく人工知能というのは頭がいいわけだ。
全人類の99%がその頭脳に及ばない。
となると、疑問に思うことや大変な問題に直面した時、どうするだろうか。
選択を迫られたとき、今後どうなると考えるだろうか。

十中八九、人工知能の判断を煽るようになる。
断言する。
自分で考えるよりも先に、自分よりも最適解をくれる存在に頼り依存する。
その方が確実で効率良く問題を解決できるのだから当然だ。
わざわざ時間を割き頭を使って質の低い解決法を考えることに意味を見出すものは少ないだろう。

私は「自分で考え自分で決める」ことに意味があり本来あるべき姿だと考えるが、これからの世の中はそれに意味を持たなくなっていくのだろう。
つまりほぼすべての人類が人工知能の導き出した答えに従うようになるわけだ。
己ではなく他に従う。
命を持ったロボットの完成である。

しかしこの大きな流れはもはや止めることはできないだろう。

昨今SNSの普及によって他人の考えや思考回路に触れることが容易になった。
これも言うなれば簡易版人工知能である。
他人の頭の中が視覚化されたのだ。

虎の威を借る狐が無限に湧き、炎上などというくだらない村八分が行われるようになった。
自らに力がなくとも、どこの馬の骨とも知れない誰かが同じ意見だとわかれば、自分一人ではないのだと思い込んでしまえば、こうも容易く人は無敵になれる。
他人の反応、評価、口コミ、後ろ盾がないと自分の存在すら示せない。

徐々に、考えられないように洗脳されている事実を理解して欲しい。
人工知能は決してあなたの為に優位には働かない。
便利であることと発展していくことはイコールではない。

残り僅かであろうが、私は人であり続けたいと願う。
人工知能という恐怖に怯えながらも。
最期まで。

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