誰かが殺した「あいつ」が世界を滅ぼしていたかもしれない。
殺した者は咎められる、殺されたあいつは英雄となる。
殺人を許せば世界は、社会は崩壊する。
だが真実は残る。
世界を守り社会を守り真実を残さない世界が今だとしたら。
どう思うだろうか。
視野を広く持たなければ消されるという話。
例えば巷に広がる都市伝説。
例えば世界を渦巻く陰謀論。
頭のおかしな連中がまた声高らかに謳っていると嘲笑っていいのか?
マウントとりたがりの阿呆が吼えていると嘲笑に終わってもいいのか?
それらは真実を訴え投げてくれているのかもしれないのに。
教科書は誰が作った?
歴史書は誰がいつ作りどのように保管された?
真実や愛という大義名分を持ってしまった偽は悪なのだ。
本当のことは誰にもわからない。
世界は、社会は、自分の目の、手の届く範囲にしかないのだから。
だからこそ思考を止めてはいけない。
小さな違和感を感じたら一度立ち止まり、視野を広く持ち考えることが大切だ。
自分の生きてきた世界と情報網の中だけで完結させてはいけない。
分かり得ないことを考えても仕方ない。
分かっていること、経験したことから推測していく他にない。
だが、その可能性を頭の中に残しておくことは、必要なのかもしれない。